みんな違って、みんないい。多様性を力に変えるゼネラリスト。
多様性の中で芽生えた哲学
横浜の青葉区で生まれ育ちました。
周りは裕福な家庭が多く穏やかな小学校時代でしたが、公立中学では一変。
荒れた中学校に入学し、やんちゃな仲間たちと喧嘩と仲直りを繰り返す毎日でした。
そんなドラマチックな日々は、今思い返せば青春の宝石箱。
彼らは今や私の人生で欠かせない親友です。
この多感な時期に経験した人間関係の中で、「多様性」の真価を心から理解し、
今の私を形作る根深い価値観に変わっていきました。
矢部代表との出会いもちょうどその頃。
中学は違いましたが塾が同じでした。
当時は会釈をする程度の仲でしたが、社会人3年目の冬に地元の忘年会で
たまたま席が正面になって意気投合。
お互い人材業界に身をおいていたことがわかり、
忘年会の後も何度も会ってビジネスの壁打ちをするようになりました。
その頃、矢部は人材紹介業界の非効率性を解決する、
転職エージェントと採用企業を結ぶプラットフォーム構想を発案していました。
アイディアを聞いた瞬間「これは業界を変えるビジネスになる」と直感しました。
そして矢部からの「一緒にやろう」という提案が心の底から嬉しかったです。
同世代の仲間と新たな挑戦に立ち向かう意義、
そして私たちの手で業界を変革するという壮大なビジョンに全身でワクワクし、
兼業の形で加わることを決心しました。
挑戦と回帰
少し戻って私の新卒時代の話をします。
新卒では会議室運営会社に入社しました。
会議室の机や椅子を運んだり会場設営をしたりと、
泥臭く力仕事が多い現場作業からのスタートでした。
無我夢中でしたが三年目で最年少管理職に昇進。
忙しくも充実した社会人生活でしたが、
あるクライアント社長からの招待が転機をもたらします。
「一度、会社に遊びに来ませんか?」。
その誘いに応じて訪れた先で目の当たりにしたのは、
同年代の社員が溌剌と働き、会社の理念を熱心に語る姿。
私の周囲で「会社が好き」と公言する同世代は稀で、
こんなにも優秀な人材を惹きつける会社創りの秘訣はなんだろう。
そんな興味から転職を決意しました。
新たな職場では、新規事業を立ち上げたり初の法人営業に挑戦したりと
多くの達成感に満ちたものでした。
しかし二年目になる頃、一社目の会社の役員から
「上場したが、管理部門を任せられる人材がいなくて困っている。
新規事業を任せたいから戻ってこないか」と声を掛けてもらいました。
この申し出があったのは、ちょうど新たな職場で手がけていた
新規事業が保留となった時期。
こうしたタイミングの重なりもご縁かと思い、
一社目の会社へと戻ることを決意しました。
副部長として管理部門に従事し、
経営企画、総務、労務、人事、財務等、幅広い領域での改善で
組織革新を推進しました。
生涯テーマの決定
手掛けたプロジェクトで印象深いのは、
会社で初めて挑戦した障碍者雇用です。
障碍者雇用がイキイキと働く姿を見て、
「適切な仕組みがあれば、誰もが輝ける」
と確信しました。
そしてこの貴重な教訓と、多様性を包み込む中学時代の経験が
カチっとハマる感覚を覚えました。
「どんな人も活躍できる組織を築く」
このビジョンを、私の人生の使命にすると決めました。
その決意のもと、資金調達やM&A、
そして10億円規模のプロジェクト責任者として大規模プロジェクトを次々に手がけ、
挑戦の日々は私に大きな充実感を与えてくれました。
一方、兼業で続けてたcircusも急速に成長し、
兼業で関わるには規模が大きくなりすぎてきました。
フルコミットするか、それとも撤退して本業に専念するか...
私が下した決断は、
「大きな会社にいるよりも、大きな会社を創る方が面白い」。
大きな会社をこの手で創る。
この決断に全身全霊を捧げる覚悟を固め、
circus株式会社の取締役として着任しすることに決めました。
才能ある仲間を活かす器
circusは、まるで漫画『ワンピース』のように
多彩な才能を持った仲間たちが集まる組織だなと思います。
抜群に営業力が高い人、ライティングが上手い人、
マネジメント力が高い人、新規事業立ち上げが上手い人──
才能溢れるメンバーが最高のパフォーマンスを発揮できる
環境にしたいと思っています。
私の取締役としての使命は、
「全員が活躍できる組織の構築」
を核としながら、さらに深く
「各個人が心からの納得感を持ちつつ、活躍できる環境の創出」
に拡張することです。
人の数だけ価値観やモチベーションがあり、
人生の岐路ごとに価値観も変わっていくもの。
そんな揺らぎを許容し、お互いの冒険を共に尊重しあえる仲間でいたい。
circusという船に共に乗り込んでくれた仲間たちと最高の経験ができるよう、
私は温かく支える環境を心を込めて築いていきたいと思っています。