
回り道こそが近道。遠回りしたからこそ見れた景色

幼い日に培った「食」と「人」への情熱
埼玉県さいたま市で生まれ育ちました。家族構成は両親と9歳上の姉です。
姉は私が中学に上がる頃にはもう成人していたため、実質一人っ子状態。
両親と祖父母にとても可愛がられて育ちました。
祖父は飲食店を営んでおり、よくお店に遊びにいっていました。
賑やかな店内、食欲をそそる料理の香り、祖父を中心に生まれる笑顔の輪。
幼い頃の私にとってこの経験は強烈で、「食」と「人」への関心が人格形成と将来の仕事選びにも繋がっていきました。
不登校、引きこもりからの大検合格。そして運命の出会い
高校一年生の時、担任の先生とどうしても合わず不登校になってしまい通信制の高校に転校しました。
通信制といってもスクーリングといって月に数回は学校に通わなければならない日があるんですが、これも結局サボってばかり。
2年生の時には、このままでは卒業はおろか、進級もできないと学校から言われてしまいました。
そんな私に学校から提示された最後の救済措置は、大検受験。
受かった教科の分だけ単位をくれるとのこと。
一切勉強していなかったのですが、高3の夏に一発合格!
大検合格によって、大学でも専門学校でも進学できるようになったため、さらに引きこもりが加速してしまいました。
そんな時、仕事の都合で父が単身で茨城に引っ越すことに。
「このまま家でダラダラしているだけなら茨城についてこい。嫌なら、今すぐ進学先を探せ」。
そう父に言われたので大急ぎで進学先を探し、祖父の影響で食がずっと好きだったので、スイーツカフェ専門学校へ進学することにしました。
専門学校入学後は、親友と呼べる友達もできて順風満帆なスクールライフを送っていましたが、やはり途中からはめんどくさくてさぼりがちになってしまいました。
そんな中、何とか2年に進級した時に人生の転機がおこります。今の妻と出会ったことです。
彼女に会いたくて引きこもり生活から一転、毎日張り切って学校に通うように(笑)。
サボりがちな私を毎日登校させてくれた妻には今でもとても感謝しています。
仕事か、家族か。「好きな仕事」から離れる決意。
専門学校を卒業後、銀座にあるスペインバルでホール担当として就職しました。
そこは、世界一のシェリー酒コレクションを誇るお店でした。シェリー酒のコアファンが集まるのでお客様と店員の垣根もなくフラット。毎晩、仲間と語り明かしているような、アットホームなお店でした。
「引きこもりだった」というと、人嫌いだと思われがちですが、実は私、人が大好きなんです。
接客業は、まさに天職。お客様との会話、笑顔、そして「美味しい」の言葉…どれも私の心を満たしてくれる素晴らしい仕事でした。
幼い頃に祖父のお店で感じた人と食が織りなす温かい空間を思い出し、毎日本当に楽しかったです。
しかし結婚して子供が生まれると、考えが変わり始めました。
働き方としては、土日の休みはなし、帰りはいつも深夜。
「子供とたくさん遊ぶパパになる!」そう決めていたのに現実は厳しく、子供の寝顔を見ながら焦る気持ちが募るばかり。
少しでも家族との時間を増やそうと家の近くのイタリアンバルに転職しましたが、結局は飲食業界なので、状況はほとんど変わりませんでした。
ーー家族との時間をもっと大切にしたい。でも飲食の仕事も大好きだ。
どちらか一方を選ぶのは難しい選択で本当に悩みました。
しかし、私は家族を選び、飲食業界を離れることにしました。
キャリアチェンジで発見。接客以外で「人好き」を活かす道
オフィスワークの仕事は初めてだったので、まずは未経験でも門戸が開かれていた飛び込み訪問営業に転職しました。
周りや家族からは「大変なんじゃない?」と心配されました。
事実、その仕事は離職率が高かったですが、私にとっては飲食業界よりずっと楽に感じられました。
特に辛さを感じることなくノルマを達成し続けていたら、次第に「料金滞納の回収業務」を任されるように。
この仕事は、社内的にはベテランが対応する難易度が高い業務でしたが、私にとっては新規獲得営業よりもじっくりお客様と話せるのでむしろ楽しい仕事でした。
毎日「次はどんなお客様に出会えるんだろう」とワクワクし、「なんで滞納するんですか?」と聞いていくと、ドラマのようなとんでもない話を聞けたりするんです。それが面白くて面白くて。
結果、お客様と仲良くなってみんなきっちり支払ってくれるように。
そんな感じで次々と滞納を回収していくのでギネス更新や表彰常連になり、リーダーや新卒研修も任されるようになってきました。
色々な仕事を経験させてもらいましたが、“目の前の人に真剣に向き合う”、というのはどの仕事でも大事な要素の一つです。
自分の「人が好き」という特性は、人に徹底的に向き合うことで活かせるし、そのスタイルで仕事をしていると、結果で返ってくるという手応えを掴み始めました。
コロナ禍による転機。circusAGENTとの出会い
ところが、コロナ禍で状況は一変。
その部署は事業縮小し、人材紹介事業部へ異動することになりました。
その時にユーザーとして使っていたのが人材紹介プラットフォーム「circusAGENT」です。
他にも6つほど他社サービスを使っていましたが、ユーザーファーストが伝わるcircusAGENTの使いやすさは段違いでした。
また、circusAGENT独自の「シェアリング機能」によって、今まで人材紹介会社内で抱え込まれていた求人が、人材紹介会社間で共有・拡散される設計も良いと思いました。
求職者にとっては紹介される求人が多いほどキャリアの選択肢が広がるので、エージェントが多くの求人を保有できるようになる仕組みには大きな意義があるんです。
このビジネスモデルを作ったcircus株式会社を素直にすごいと思いましたし、プロダクトを見れば、その会社が社会課題や顧客に対しどれだけ本気で向き合っているか分かります。
circusAGENTは「人材業界を良くしよう」と本気で思っていることが伝わりました。
また、CS担当の柳川さん(https://www.circus-group.jp/member/w-yanagawa)は、まるで経営コンサルタントのように、私たち人材紹介会社の事業課題や悩みに全力で向き合ってきてくれました。
「こんなに良いプロダクトで、企業や人に深く関われる仕事は面白いだろうな」と感じていた矢先、柳川さんから社員募集していることを聞き、すぐに「選考を受けさせてください!」とお願いし、circusに入社。
柳川さんのチームで、メンバーからスタートしました。
リーダーを経て入社から1年半後、circusで最年少のマネージャーに抜擢されました。
回り道をしたからこそわかる幸せ
順風満帆な人生ではありませんでした。
不登校、引きこもり、大好きな飲食業との別れ、コロナによる事業縮小…さまざまな経験をしてきました。
でも、こうして振り返ってみると、困難なことがあっても「人が好き」という想いがいつも突破口を開いてくれたと思います。
今でもふと「飲食やりたいな〜」と思うことはありますよ。でも、絶対的に言えるのは今が一番楽しいということ。
大好きな仕事に夢中になれて、家族との時間を大切にできる今のライフスタイルに心から満足しています。
このチャンスを与えてくれたcircusに感謝していますし、もっと成長することで恩返しがしたいですね。
飲食業へのカムバックは、老後の楽しみにとっておこうかな。