アイドルを目指し上京

幼少期からアイドルに憧れ、高校生の頃から地元の静岡県沼津市でご当地アイドル活動を始めました。
ビッグになりたくて高校卒業後はアイドルの聖地である東京・秋葉原を目指し上京。
某地下アイドルグループに入りました。

そのグループは、女性インディーズアーティストで史上初のオリコンシングルランキング1位をとったビッググループ。
憧れのグループに無事に入所できたものの、本当の試練はここからでした。

大きいアイドルグループではいきなりメンバーになれるわけではなく、まずはチェキ係からスタートして、研修生→候補生→メンバーへと昇格していきます。
昇格するには人気と実力両方を一つ一つ掴み取っていかなければいけません。

アイドルの一日は非常に多忙です。
昼間はテレビや雑誌の撮影があり、夕方からは常設劇場でのライブが待っています。
ライブ本数は年間1000本以上あり、その数は世界一。

ライブの後には、TwitterやBlogの更新をし、ファン交流をします。
その合間を縫って、新曲のダンスや歌を覚えなければなりません。

一瞬一瞬が無駄にできない日々。
だから、一度やったことはその場で一回で全て覚えなければなりませんでした。

さいたまスーパーアリーナという夢の舞台

このアイドルユニットのパフォーマンスは激しいのが売りで、ライブでのヘドバンや客席へのダイブなどなんでもあり。
また、毎週日曜日に”ヲタク満足度投票結果”が発表されるので順位争いで毎日が戦いでした。
この結果次第で渋谷の大型ビジョンに出られたり、新曲をもらえたりするのでみんな必死です。

一番試練だったのは、候補生からメンバーへの昇格を掛けたダンステスト。
30曲の課題曲の中からランダムで5,6曲出題されます。

一週間で30曲の歌と踊りを覚えるのは並大抵のことではありません。
練習したくても、日中はメディア対応やライブ活動、夜はSNSでのファン交流があったので普通に生活していては練習する時間を捻出できません。

文字通り、寝る暇も食べる暇も惜しんで全身で食らいつきました。
結果、ついにメンバーに昇格することができました。

正規メンバーとなった後は、グループ全盛期だったので本当に色々な経験をさせてもらいました。
センターの曲を頂いたり、海外ライブ遠征に行ったり、短編映画に出演したり。

キャリアの頂点は、20,000人を動員したさいたまスーパーアリーナでの単独ライブ。
アリーナがメンバーカラーの赤のサイリウムで埋め尽くされた光景は一生忘れられません。

アイドル引退、そして出会った天職。

しかし、23歳の時に持病の椎間板ヘルニアが再発し、激しいダンスができなくなりました。
母との約束でアイドルは25歳までと決めていたこともあり、引退を決意しました。

全身全霊でやりきった7年間のアイドル人生に悔いはありません。
高校からの青春を全てつぎ込んだあの時間は、私の人生を色濃く彩る一コマです。

アイドル引退後、一般企業に就職しました。
23歳はアイドルとしてはベテランでも、ビジネスの場では素人です。

まったくの未経験から始められるのは営業の求人しかなかったので、IT企業でのインサイドセールス(IS)として就職しました。

最初は本当に営業としてやっていけるか不安でしたが、ISとして毎日たくさんのお客様と話すうちに、自分のファンを獲得し、商品を好きになってもらうというプロセスはアイドル活動と同じだと気付きました。

アイドルからビジネスパーソンへ。
次は営業としてテッペンを獲ろう。そう決めました。

最高のステージを仲間を創る

前職が事業縮小のため転職活動することになったんですが、そこで出会ったのがcircusです。

実はアイドル引退後、プライベートの場で芸能人やインフルエンサーの友人たちのセカンドキャリアの相談に乗り、知り合いの社長や人事を紹介してきた経験があるため、「求職者の就職機会最大化を支援する」というcircusのプロダクト構想に強く共感し、入社を決めました。

現在、circusの主力事業「circusAGENT」というプロダクトを採用企業様宛に営業しています。

私は営業の仕事が大好きで、天職だと思っています。
そんな私が営業で一番大切にしているのは「自分が価値を信じられるプロダクトしか売らない」という信念です。

営業はプロダクトの伝道師だと思っているので、自分が本当に良いと思うものでなければ、全身全霊で売り込むことはできませんし、お客様にもその思いは伝わってしまいます。

私は、毎日様々なお客様に出会い、大好きなcircusAGENTを広めることができる今のこの環境が、楽しくて仕方ありません。

アイドルからビジネスパーソンへのキャリアチェンジは大成功。
私の第二のステージはcircusです。